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人生朝露

人生朝露

「怪」を綴るひとびと。

荘子です。
荘子です。

今回も、
フランツ・カフカ(1883~1924)。
フランツ・カフカ(Franz Kafka(1883~1924)と荘子です。

参照:荘子と『変身』。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5105

カフカと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5106

中国語版のWikipediaのカフカのページに、彼が手紙の中で書いた漢詩が載っています。

参照:Wikipedia 弗朗茨・?夫?
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%97%E6%9C%97%E8%8C%A8%C2%B7%E5%8D%A1%E5%A4%AB%E5%8D%A1

>引用了清朝詩人袁枚的《寒夜》
>寒夜讀書忘卻眠
>錦衾香盡爐無煙
>美人含怒奪燈去
>問郎知是幾更天

・・・要約すると、袁枚が夜に寝ることも忘れて読書に明け暮れていると、恋人がやってきて灯りを奪い取り、「あなた、いつまで読んでいるの」と怒られるという詩です。「待つ女性」に目を移すと、日本で言うと 藤原道綱母の「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」、とか、李白の『子夜呉歌』に近いイメージです。

参照:子夜呉歌 李白
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Kanshipage/kanshi23.html
・・李白が面白いのは、男性の身でありながら、女心を詩にするところです。ちなみに、この漢詩が分からないと、芭蕉の『野ざらし紀行』も読めません。

芭蕉。
砧打(うち)て われをきかせよ 坊が妻   芭蕉

・・・で、カフカが引用している袁枚(えんばい Yuan Mei(1716~1797)という人は、日本での評価はあるんですが、あまり人気のある詩人ではないです。だって、もう18世紀、清朝の頃の人なので、漢詩の系譜の中でも若いし、ましてや『寒夜』なんて知っている人は僅少といっていいと思います。しかし、アーサー・ウェイリーが『十八世紀中国の詩人』として西洋に紹介した例もあるように、あちらでは彼らが中国の文明を理解するようになったころの詩人として評価が高いようです。

参照:Wikipedia 袁枚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E6%9E%9A

もう一つ気になるのが、袁枚(えんばい)というと彼の書いた『子不語』という本です。このタイトルは『論語』の「不語怪力亂神」(述而 第七)の言葉遊び。つまり、『不子語』は儒者が眉をひそめる怪奇小説でして、袁枚は怪奇小説家の側面もあります。

新井白石と天地創造。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5073

Zhuangzi
『北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也。怒而飛、其翼若垂天之雲。是鳥也、海運則將徙於南冥。南冥者、天池也。齊諧者、志怪者也。諧之言曰「鵬之徙於南冥也、水?三千里、摶扶搖而上者九萬里、去以六月息者也。」』(『荘子』逍遥遊 第一)
→北冥に魚がいる。その名を鯤という。鯤の巨大さたるや幾千里あるかわからないほどだ。化して鳥となり、その名を鵬という。翼を広げた鵬の巨大さたるや、これまた幾千里あるかわからないほどだ。ひとたび鵬が飛び立つとなれば、その翼は天空に雲がたれこめるのと見紛うばかり。大海に嵐が湧き起こるのを見るにおよび、巨鳥はおもむろに南冥へと飛び行く。南冥とは天の池のことだ。怪しげな事象を記述する「齊諧」によれば、『鵬が南冥へと移るとき、三千里の水面を打ち、風の助けを得て、半年もの間休むことなく、九万里の空へと上昇する。』とある。

『荘子』は冒頭に「齊諧者、志怪者也。」として『齊諧』という書物から引用しています。荘子の儒家へのアンチテーゼの嚆矢は、この『論語』の「怪力乱神を語らず」の「怪」に向けてのものです。袁枚も悪ノリしていますが、意図は同じです。

参照:公共広告機構 CM 『黒い絵』
http://www.youtube.com/watch?v=SNv4hBbu8K4
ただし、読めば分かりますが、『荘子』という書物はオカルトとは言えません。
誠実な問題提起をしているんです。

清朝の頃は、東洋文庫で『鏡の国の孫悟空』として紹介された『西遊補』が出たり、
『聊斎志異』蒲松齢著
芥川も太宰もネタ本にしている『聊斎志異(りょうさいしい)』のような怪奇小説が出るようになったころでもあります。カフカはこれを読んでいます。

参照:聊斎志異
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%8A%E6%96%8E%E5%BF%97%E7%95%B0

・・・おそらく、これはリヒャルト・ヴィルヘルムの中国の古典や中国の民話の訳本だけでなく、
マルティン・ブーバー(1878~1965)。
マルティン・ブーバーの影響であろうと思われます。

『I and Tao』マルティン・ブーバー著。
ブーバーは、哲学者や社会学者、シオニズム運動家として有名なんですが、同時にタオイズムの紹介者でもあるんです。『I and Tao』とかもありますが、ブーバーの著作に“Chinese tales: Zhuangzi, sayings and parables and Chinese ghost and love stories(中国の話:荘子の言葉と例え話及び中国の幽霊と恋愛物語)”というのがあるんです。ドイツ語訳もされていまして『聊斎志異(りょうさいしい)』の紹介本として1910年前後には出版されています。

参照:マルティン・ブーバー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

小泉八雲。
ラフカディオ・ハーン、小泉八雲(Lafcadio Hearn 1850~1904)と対比すると分かると思うんですが、

≪ところで、中国には蝶に関した不思議な物語--妖怪奇談--がじつに多い。わたくしはそれらを知りたい。しかし、私の力では、中国の文字を理解することはとうてい不可能で、日本語すらも生涯満足に読むことはかなわないであろう。それでも今わたくしが非常な困難を味わいながらも、何とかして英文を翻訳しようとしているわずかな日本の詩歌のなかにも、随所に蝶の物語が取り入れられている。そのためにわたくしは、あのなぶりものにされたタンタラスの苦しみにさいなまれているのである。・・・・もとよりのこと、わたくしのような無神論者のところには、かりにも訪ねてきてくれる天女のなどいるはずもないが。
 (中略)それからまた、日本では荘周の名で知られている、かの有名な中国の学者が、自分が蝶になった夢を見て、その夢のなかで、蝶の持つあらゆる感覚を経験したという、その体験についてもっと詳しく知りたいと思う。荘周の心は確かに蝶の姿になってさまよい歩いたのである。それで目がさめたとき、そのときの生活の記憶や感情が、おのれの心中にあまりにもいきいきと残っていたため、平常の人間の生活に戻ることがなかなかできなかったということである。最後にわたくしは、いろいろな蝶は、皇帝の従者たちの霊魂であると、中国のある時代に書かれた公文書の原典を知りたい。(小泉八雲『蝶の幻想』より)≫

参照:小泉八雲と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5046

小泉八雲が『怪談』を収集したのと、カフカが『聊斎志異』や中国の民話に興味を持ったのは、ほぼ同じ動機に基づくものだと思われます。

・・・で、ここまで書いた段階で、ネット上でもPDFで、

参照:「こいつは途方もない偽善者だ」 : カフカの中国・中国人像
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/134437/1/dkh00016_029.pdf

川島隆先生という方が、この辺の研究されているのを発見。結構カブった(笑)。しかし、ブーバーとの関係に触れていても、荘子にまでつっこんで展開されてはいません。

というわけで、次なる荘子読み。
ミヒャエル・エンデ(Michael Ende(1929~1995)。
ミヒャエル・エンデ(Michael Ende(1929~1995)であります。
ま、彼は納得の荘子読み。

『M・エンデが読んだ本』(ミヒャエル・エンデ著)。
彼の著作に『M・エンデが読んだ本』というものがあります。エンデが影響を受けた本として、カフカもボルヘスの名前も挙がっていますが、冒頭を飾るのは『荘子』の「胡蝶の夢」です。

参照:インセプションと荘子とボルヘス。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5074

しかも、マルティン・ブーバー訳の「胡蝶の夢」です。

Zhuangzi
「おれは荘周。いつだったか夢を見た。蝶になってあちこちあてどなくひらひら飛び回っている。蝶みたいに気ままに飛んでいるのはわかっていたが、自分が人間だとは気づかなかった。と、突然、おれは目覚めた。横になっていたのだ。「おれ自身」に戻ったのだ。だが、わからない。はたして、おれは、自分を蝶だと夢見てる人間だったのか。それとも、自分を人間だと夢見ている蝶だったのか。人間と蝶のあいだには仕切りがある。それを越えることを【変身】という。(『M・エンデの読んだ本』より)」

・・・ブーバーは「物化」を【変身】と訳したんです。

≪小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか?(ミヒャエル・エンデ「親愛なる読者への44の質問」より)≫

そりゃあなた、知る者は言わず、言う者は・・・
今日はこの辺で。


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